東京地方裁判所 平成7年(ワ)19968号 判決 1997年7月10日
原告
甲野花子
右訴訟代理人弁護士
末川吉勝
同
島田新一郎
右末川訴訟復代理人弁護士
長谷部修
被告
乙野太郎
右訴訟代理人弁護士
戸谷博史
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 原告の請求
被告は、原告に対し、原告が、別紙物件目録三記載の土地のうち別紙図面三記載のE、F、Gの各点を結んだ直線の下に設置されている被告設置の排水管を利用することを承認せよ。
第二 事案の概要
本件は、原告が、隣家の被告に対し、原告宅の便所を水洗式便所に切り替えるに当たり、その汚水を公共下水道に流入させるために、被告設置の地下排水管を利用することの承認を求めたという事案である。
一 前提となるべき事実など
1 原告は、訴外観音寺から、別紙物件目録二記載の土地(以下「原告借地」という)を普通建物所有の目的で賃借し、別紙物件目録四記載の建物(以下「原告建物」という)を所有し、これに居住している。
被告は、観音寺から、別紙物件目録三記載の土地(以下「被告借地」という)を普通建物所有の目的で賃借し、別紙物件目録五記載の建物(以下「被告建物」という)を所有し、これに居住している。
2 原告借地と被告借地を含む周辺土地の位置関係等の概略は、別紙図面二のとおりであるが、原告借地は、公道に面しておらず、いわゆる囲繞地となっており、丙及び丁両宅間の通路部分は、原・被告、丙及び丁ら借地人が共用する通路となっている。西側公道の地下には、公共下水道が設けられている(乙三)。
3 そして、右周辺土地では、昭和四〇年代頃から下水道が整備され、その殆どの家屋において水洗式便所に切り替わってきているが、原告宅とその北側の丙宅ら数軒だけが依然汲取り式便所となっている。
4 現在、原告借地から排水される、便所汚水を除いた下水は、別紙図面三記載のA点、B点、F点を結んだ線の付近の地下に設置されている原告設置の既設排水管(以下「原告排水管」という)を通って公共下水道に流入している。
5 一方、被告借地から排水される下水(雑排水、雨水と便所汚水等を含む)は、別紙図面三記載のD点、E点、F点を結んだ線の付近の地下に設置されている被告所有の既設排水管(以下「被告排水管」という)を通って公共下水道に流入している。
6 原告は、前記汲取り式便所を水洗式便所へ切り替えるに当たり、その汚水を公共下水道に流入させるため、被告に対し、既設の被告排水管の利用を求めているが、被告はこれを承諾しない。
二 争点
原告宅の新たな水洗式便所汚水の排水方法として、被告借地内の被告排水管を利用することが、下水道法一一条一項及び民法二二〇条等の規定に基づき、最も損害の少ない場所又は箇所及び方法と認められるか否か。
1 原告の主張
原告借地から前記公共下水道への汚水の流入は、被告排水管を利用するのが距離として最短であり、経費の節減になる。
被告としても、既設排水管の利用を受忍するだけのことにすぎず、被告排水管の内径が一〇〇ミリメートルあることからみても、家庭用の水洗式便所汚水がさらに通水することとなっても、何ら問題とはならない。
2 被告の反論
(一) 原告としては、前記汚水の排水に当たり、下水道法上、他人の土地又は排水設備にとって最も損害の少ない場所又は箇所及び方法を選ばなければならないと定められているのであるから、通水し得べき土地又は排水設備が所有者を異にして複数考え得るときは、それぞれ通水したと仮定して生ずべき損害を比較し、そのうち最も損害の少ない土地又は排水設備に通水すべきものである。
(二) 本件では、原告は、別紙図面二の丙及び丁両宅の間の通路部分を通って戊、己両氏の所有する私道の地下を通るようにして新たに排水管を設置すれば、地上に他人の建造物が存在していない場所に排水管を設けることができるのである。
一方、被告排水管は、被告建物の下を通っているため、原告宅の水洗式便所汚水をもさらに通水させるとすれば、管が詰まった場合等には、被告建物を取り壊して工事を行わなければならなくなり、被告としては甚大な被害を被ることになる。
したがって、前記私道に排水管を新設するのが最も損害の少ない場所及び方法であることは明白である。
第三 当裁判所の判断
一 原告借地のような囲繞地の使用者は、その下水を直接公共下水道に流入させるのが困難であるため、下水道法一一条の規定及び民法二二〇条、二二一条等相隣関係の規定の趣旨に基づき、隣地使用者に対し、その土地又は排水設備の使用を求め得るものであるが、その場合において、通水し得べき土地又は排水設備が所有者を異にして複数考え得るときは、それぞれに通水したとして通常生ずべき損害を比較し、そのうち土地又は排水設備にとって最も損害の少ない場所又は箇所及び方法を選択しなければならないことは、下水道法一一条一項及び民法二二〇条但書の規定から明らかである。
そして、右損害の大小の判断は、工事を行うべき区間の状況と費用の多寡、当該隣人に与えるべき損害の内容と程度、周辺土地の利用状況や従前の通水経緯等を総合考慮して合理的に決すべきものといわなければならない。
二 そこで、検討するに、証拠(甲四号証、証人B、同Aの各証言)によると、原告借地から前記公共下水道への通水については、距離的にみれば被告排水管を経由するのが最短であり、別紙図面三のとおり、原告宅の便所から被告借地内のE点に排水管を接続すれば足りること、そのため、費用としても、便所の改造工事も含めて三〇万円程度の工事で済むものと考えられるのに対し、被告主張のように他人の私道に排水管を新設する方法によった場合には、二〇万円程度割高になるばかりか、さらに、右私道の土地所有者らに対して承諾料その他一定の金員の支出を用することになる可能性のあることが認められる。
しかしながら、一方、右証拠のほか乙二、三号証及び弁論の全趣旨を総合すると、被告排水管は、被告建物の北側の下を通っており、内径一〇〇ミリメートルの塩化ビニール製ではあるものの、勾配や土かぶり等の技術的ないし構造的な点の詳細が明らかでないため、現地を見分した東京都下水道局職員Aにおいても、現状の被告の下水のほかに新たに原告宅の水洗式便所汚水が加わった場合に、その総排水量が被告排水管に与える影響の程度は明らかでなく、将来、管が詰まる可能性もあると考えていること(Aの尋問調書一〇、一五項)、そして、原告が排水管を前記私道に新設する方法を採った場合には、距離的には長くなるものの、地上に他人の建造物のない道路の下に排水管を埋設することができ、管が詰まった場合等の改修工事も比較的簡易なものとなるし、また、丙家と共同して右排水管の新設工事を行う場合には、前記費用の点も必ずしも割高にならないことが認められる。
そして、本件において証言を行った前記B及びA両証人とも、原告の要望を別にすれば、被告排水管ひいては被告建物に与える影響を考慮して、私道に排水管を新設する方法自体の相当性を認めているのである。しかるに、この方法を採り得るものか否かにつき、原告は、私道の土地所有者らとの間でこれまでにいかなる交渉を行い、誰から何時どのような回答を得たのか、さらにはその承諾を得るのにどれくらいの金銭的負担を要することになるのかなどにつき、何ら具体的に主張、立証するところがない(そればかりか、原告は、前記汚水を公共下水道に流入させるにつき、被告に対して承認を求めたいとする申立て内容を再三にわたって変更しており、既存の各排水管の利用状況や位置関係等を正確に把握した上で右申立てを行ってきたかどうかすら疑わしいのである)。
これらの事実関係に基づいて考えると、原告において、水洗式便所に切り替えるべきことの必要性はもちろん、その汚水の排水路を確保すべき必要性は十分是認できるものであるし、既設の被告排水管を利用することにした方が自己にとって費用の節約になることは確かである。しかし、その一方で、前記のとおり、被告排水管が被告建物の下を通っているため、原告宅の水洗式便所汚水が新たに合流することにより、万一、管が詰まるなどして改修工事の必要が生じた場合には、被告の住居たる被告建物を一部にせよ取り壊すなどして右工事を施工しなければならなくなるおそれが生ずることや、右以外の方法として、迂回路になるとはいえ、前記私道に排水管を新設するという方法も十分考え得るものであり、今後の維持管理といった点をも考え併せると、地上に建造物のない場所に排水管を新設するという方法を採るのが妥当であるとする被告の主張は十分に理由のある考え方というべきであるところ、本件では、この新設方法によった場合に生ずる具体的な支障の内容や金銭的負担の程度が明確でないことからすれば、右両方法の利害得失を勘案した上で原告の請求する被告排水管の利用という方法が、最も損害の少ない合理的な方法であると直ちに認めることは困難であり、被告においてこれを受忍すべきものとまではいえないというべきである。そして、他にこれを認めるに足りるだけの的確な証拠は存しない。
三 以上によると、原告の本訴請求は理由がなく、棄却を免れないものである。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官 安浪亮介)
別紙物件目録<省略>
別紙図面二<省略>